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Fiddledadのblog

放射能汚染について考察するブログです。

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教育に係る自爆装置 

 戦争時の日本と米国を比べると、米国は「戦争を勝利に導くため」に、戦術、組織、技術を恐ろしいまでの速さで変化させていきたが、日本はまるで時間が止まったかのように、何も変化せずに敗戦を迎えた。米国は勝利のために戦っていたのに対して、日本は軍部が変わらないために戦っていたとも言える。

 なぜ、国民がこのような軍部の専横を許したかが非常に気になるが、その当時の国民の多くは思考停止していて、主体性が完全に喪失していたのではないか。

 ひょっとしたら、日本人はお上から「マジックワード」を投げかけられると、まるで、催眠術にかかったように、文句も言わずに自らの命を投げ出すようにできているのかも知れない。そのマジックワードは、戦争のときは「○○万歳」で、東日本大震災(特に、原発事故)のときは「絆」であった。

 もし、マジックワードをトリガとして思考停止するプログラムが日本人にあるとすれば、それは、「日本人」の「間主観性(=集団的無意識)」の中に埋め込まれたアプリオリなものではなく、教育の段階で埋め込まれるアポステリオリなものではないかという気がする。

 論理がまた飛躍するが、日本の教育は、ある意味、マジックワードをトリガとして自爆する(=主体性を放棄する)自爆装置を埋め込む作業に他ならないのではないか。ときどき、自爆装置が暴走して、自ら命を落とす子どもが出てくるが、教育関係者は自分達が埋め込んでいるのが自爆装置であることを「うすうす」気づいているため、その子どもに対しては薄情とも思われる程に冷淡だ。

 今回の東日本大震災(特に、原発事故)では、この自爆装置が正常に機能していることを見て、教育関係者は胸をなで下ろしたのではないか。このような自爆装置を我が子に埋め込んでもらうために、我々はせっせと毎日子どもを学校に送り出していると思うと気が滅入ってしまう。

 教育関係者は、そんなことはないと否定するだろうが、見逃してはいけないのは、当の教育関係者自身にもそのような装置が埋め込まれていることだ。今回の原発事故では、教育関係者の頭の中で、その装置が機能する様を、我々保護者はまざまざと見せつけられた。例えば、原発事故以前に、ある学校の校庭の線量が特異的に高いことが見つかった場合には、直ちに除染がされると思うが、原発事故という国家的な危機の前には、殆どの学校関係者が思考停止し、その新たな危機を直視しないで沈黙を貫き通した。また、修学旅行先でマイナーインシデントが発生し、線量が特異的に高くなった場合、保護者との間で話し合いが持たれて、旅行先が変更になることは、想像に難くないことだろう。しかし、今回は、保護者から不安の声が上がっても、それを黙殺するか、愚者の声として場合によっては罵倒し、皆が沈黙を貫き通した。これらの事実を見ると、やはり、教育関係者にも当該装置は埋め込まれていて、知らず知らずのうちに同様の装置を子ども達にも埋め込んでいる、と言わざるを得ない。

 話を戦争に戻すと、日本が米国に敗れたのは、もちろん国力の差もあるが、この変われない体質にも原因があり、それはつきつめると、マジックワードで思考停止して主体性を放棄する自爆装置に大きな原因があると思う。この自爆装置が動作している限り、戦争というような大きな危機には立ち向かえないし、震災や原発事故にも適切に対応できないのではないか。もちろん、現在の経済危機の状況を抜け出して真の意味での復興を果たすためにも、この自爆装置を解除する必要があると思う。

 こんなことを指摘したからといって、自分の子どもが通っている学校が、ましてや日本の教育が変わる訳ではないが、自分の子どものみならず自分自身にも、自爆装置が埋め込まれていて、ときどき、ひょんな理由で誤作動を起こして思考停止するのみならず、不必要に自分を責めたり、他人を責めたりすることがある、という視点だけは、精神衛生上持っておいた方がよいかも知れない。


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